カシパンドローム

カシパンドロームは小出マワルの所属する個人サークルです

レポート170919

執筆

9回

 

 1日に2回執筆することもあったので、回数が増えた。

 おかげさまで、書いていたお話の初稿が上がりました。

 原稿修正を少ししてページ数も決まったので、印刷屋さんを予約しまして、入稿まであとひと頑張りです。

 テキレボに向けて、宣伝もしていかないといけませんね。テキレボ新刊「暁のTOMCAT」よろしくお願いいたします!

レポート170912

執筆

5日

 

 お話を書くときは、自分の中で2時間を既定の時間にしているが、睡眠時間や食事量をコントロールすると倍の時間まで伸ばせることが分かった。

 しかし倍の時間書くと、疲れも倍になるので、次の日がしんどくなることもわかった。

 結局、既定の時間で毎日書く方が、いいのかな?

 

 お話は序盤から中盤に移っているが、どこを山場にできるのか、どのくらい盛り上げられるか、全然見えない。

 早ければ、9月末に書き上げられると見込んでいるが、入稿するまでは不安でいっぱいだ。

 面白く書きたい気持ちと、手早く完成させたい気持ちのせめぎ合いになるかな。

 まあ、お話を書くしかないのですが。

同人活動と写真の架け橋

イベント前の憂鬱な気持ち

 最近テキレボが近づいてきているので、ツイッターのTLが同人作家さんの宣伝ラッシュになったりすることが、ちょっと憂鬱です。

 自分の作品のココが売りです!と言える人は、すごいなーというか、自分の萌えることがらについての研究が熱心だなぁと思います。つまり自分の作品が、とことん好きなんだなぁって思うのです。

 昔よりずいぶんマシになりましたが、私は自分を大事にしない人間で、自分が積み重ねたこともあっさり捨て去る人間です。

 

 自分の作品を書いているときは、頭を使うし、愛情もこめて書いているつもりですが、書き終えれば「頑張って書いた本」とは思うものの、極論すると「終わったものは、どうでもいい」ものなんです。

 嫌な書き方ですね。好きな相手が、パートナーになったら、愛情を注がなくなってしまうような、最低な人間なんだと思います。私は。

 

同人イベントでの勝敗とは?

 あんまり理解されないのですが、私は過去にビリヤードやダーツにはまった時期があるのですが、ハマっているときにこだわるのは勝敗ではなく、きれいなフォームで自分の身体をコントロールして、思ったような運動結果を残すことを目標にしてきたのです。運動結果が良好であれば、勝敗の結果はついてくるという考え方をしていたのでしょう。

 しかし結果として、ぜんぜん上手くなりませんでした。勝つことも難しかったです。

 理想のフォームでプレイするというこだわりは、勝敗にはあまり影響しないのかもしれません。特にダーツは、プロでも独自のフォームでプレイする人が多いです。一般論に自分を合わせるのではなく、自分の身体の特徴を分析し活かす、という研究熱心さがないと、勝敗に結び付けることは出来ないのかもしれません。

 

 私が書くこともまた、自分の書く能力をコントロールして、書くことの何らかのパラメーターのアべレージを上げることに興味があるんじゃないかな、と思うのです。

 しかし何らかのアベレージを上げられたかどうかは、結局、頒布数と読んだ方からいただける感想を、客観的指標としている現状があるので、同人誌即売会が終わると、何とも言えない無力感に浸ってしまいます。

 自分の能力を出し切れたかどうかは、頒布数や感想の数で判断しない方がいいな、と思います。では、その指標を何で見るか。それが分かっていれば、苦労はしません。

 

同人活動を別視点で考えてみる

 私は執筆より写真を長くやってきました。ジャンルは違いますが、写真で培った経験は、執筆でも十分生かせると考えています。

 私は写真を始めたとき、オンライン/オフラインで写真を見てくれた人から「いいね」されることを指標に、活動するためのエンジンを回し、頑張ってきました。そして、「昨日カメラを買って写真を始めました」と言う人には負けない写真を撮れるようになったと思っています。

 しかし今その他者承認で回していたエンジンがどうなっているかというと、「いいね」はどうでも良いモノだと思っています。反応があったら「見てくれたんだ」くらいの受け取り方です。

 自分の写真の良さを、自分の言葉で明確に表現することはできませんが、自分の良いところが出たかどうかは、自分で写真を見れば分かります。これは自信を持って言えます。

 ちょっと傲慢な考え方だなと自分でも思います。でも写真は非言語の伝達手段なので、言語化できなくても問題ないのです。自分の感覚でOKなら、胸を張っていいのです。

 

 写真の良さは、シャッターを押すことができれば、誰だって自分の写真が撮れることだと思っています。

 世間的にいい写真とされる写真の巧拙はありますが、私の写真には、私の視線性が宿っています。あなたが写真を撮るなら、あなたの見る・見たい世界が、あなたの写真に宿ります。

 写真は一般的な巧拙があるため、私も多少技術的なこともやってきましたが、技術を身につけるのはなぜかと言うと、失敗しないためです。成功するためじゃない。

 技術だけで撮った写真はきれいですが、きれいなだけです。私が面白いと思う写真は、偏執的なこだわりのある写真です。ただ私は写真を見る目がないので、1枚の写真を見てもその写真の良さが分かりません。10枚、100枚、1000枚と見ていく中で、「面白いな、これは!」が生まれます。

 

 つまり執筆でも偏執的なこだわりを見つけることが、やはり大事なんでしょうね。偏執的というとこだわりの「強さ」を感じてしまいますが、自分の見たい世界をどう書き下ろすかというこだわり、と言ってもいいと思います。

 執筆は言葉による表現なので、自分のこだわりが明確に言語化できる人は強いですよね。でも最初からこだわりがなくても大丈夫だと思います。書き続ける中で見つけられる自分を信じられるなら。

 そのためには、作品を1つ作って終わりにするのではなく、粘土(作品)をこねくり回して、粘土(作品)が何になりたいのか分かるまで、作品を書き続けることだと思います。

 それができない人は、もっと他に自分にあった趣味、表現方法があるかもしれません。世の中、執筆だけが表現の発露手段ではないと思います。世界は思っているより広い。そして本気で執筆して得た経験は、次に出会う自己表現で生きる可能性がおおいにあると思います。

 

 そういう風に写真のことを考えるようになってからは、技術はほどほどにして、自分で「自分の世界観は、これでいいのだ」と強く思えれば、それでOKなのだと思えるようになりました。

 そして自分の写真のラインナップ、作風を保ちつつ、少しずつ変えていくことに気をつかうようになりました。

 

 つまり、自分の書くお話の世界観を、自分が一番興味の持てるジャンル(SFとか、純文学とか)に早い目に絞って書いていくこと。

 そのためには、どんなジャンルに、どんな素敵な作品があるのか、知っていることが大事でししょう。

 で、その素敵な作品をお手本にして、(できればそういう素敵な作品、作家を複数掛け合わせて)、自分の思う最強の作品をつくることが、初心者の内は大事なのだと思います。

 そうやって自分の作風をつくり、ファンになってくれる人を探していくとともに、自分の作風を少しずつ成長・変化させていく。

 

 私の性格も影響していると思いますが、私は自分が納得出来る写真なら、それでいいのです。理解してくれない人はたくさんいるけど、そういう人にはどう頑張っても、自分の写真で何かを感じてもうらうことは出来ないだろうと考えています。

 

 同人誌即売会の入場者が100人いて、100人があなたの作品を買ってくれたなら、あなたはもう目指すものがないかもしれません。

 でも普通はそうは行きません。私の中では、100人の入場者の内、10人が本を買ってくれて、1人が感想を書いてくれたら、大成功です。

 ただし写真と違って、SNSでたくさん、届けたい人に届くように宣伝すれば、頒布部数は増えるかもしれません。

 私が読んだマーケティング関連の本で記憶に残っているのは、友だちからの口コミで広がる以外で、いい宣伝方法はないということです。

 SNSは興味関心が近い人をフォローする傾向にあると思うので、そういう意味では興味関心が近い友だちに自分の作品を知ってもらうことが、頒布数を伸ばすことになると思います。

 しかしフォロワーを増やすことから始める同人活動というのは、先日の真木よう子さん騒動のように、いささかポイントがずれているようにも思います。

 

メジャーに行きたいですか?

 でもです。この考え方ではメジャーには行けないこともまた、私は知っているのです。それは自分と同時期に写真を始めた仲間たちが辿っている経過を、SNSなどで見ているからです。

 写真作家としてメジャーになるためには、個展をひらいて見に来てくれる人を増やし、その人たちと対面してお話すること、また写真集を販売して販売部数を増やすことが、通常の道のりでしょう。

 その過程では、自分の良さを100%以上発揮しつつ、写真を見に来てくれるお客さんを魅了していく。自分がやりたいことと、お客さんがみたいことを摺りあわせていく能力が求められるのだと思うのです。

 

 この摺りあわせがプロのプロたる由縁のような気もします。

 自分のつくりたい世界、お客さんの見たい世界、両方のバランスを取っていけることです。

 

 それは自分だけ頑張っても意味がないのです。人の縁を大事につないでいく能力が、大きく影響します。

 だから私のように、自分の思う世界観を強く押し出していくだけでは、自分のファンを増やしていくことは難しいでしょう。

 最初は誰もが自分の周りにお客さんの小さな輪ができます。そして、徐々に輪を自分のコントロール下で広げていくとともに、輪そのものが自分の努力とは関係なく勝手に広がっていく。それがメジャーへの道のりだと思います。

 

 SNSでバズることで、一時有名になったりする人もいますが、だいたい消費されたら、すぐ消えていきます。

 バズったときに実力を持ち合わせていることは大事でしょう。そしてバズった後も作品をコンスタントに発表できる持続力も大事だと思います。でも自分ではどうにもならない「運」がないと、メジャーにはいけないのでしょう。

 

 文芸だと新人賞などの賞を取ると、デビューできたりしますね。

 でもデビューしても、継続して作品を書き続けられる作家は、そんなに多くないと聞きます。

 メジャーに行けたとしても、持続力は大事ということなんでしょうね。

 

自分が同人活動でこの先生きのこるには

 自分が次のテキレボで頒布する作品は、まだ執筆中でどう仕上がるかも分からない部分が大きいです。だからSNSで宣伝しづらいのもあるでしょう。

 

 また、自分で認識できる強いフェティシズムを持ち合わせていないので、性癖を暴露するような内容を書ける訳でもないし、強いこだわりもないから常識的なことしか書けない、自分が何に萌えるのかもよく分からない。

 そもそも、自分の書くモノの良さで自認しているのは、「読みやすい」くらいなもので、同人の世界にいると、「読みやすい」は売りというより、特徴が無いと換言できることなので、自分の書くお話は、理解が追いつかないようなすごい同人誌が並んでいる中では、別に面白くない本だと思っています。

 だから仮にうまく宣伝して、運よく沢山の部数を頒布できても、読んでみたら大して面白くなかった、ということになるんじゃないかと思うと、宣伝は頑張れないのです。

 でも、それは現状、同人活動若葉マーク状態だから、しょうがないかなと思うのです。

 この先も作品を書き続けることで、自分の偏執的なこだわりが見えてくるかもしれません。そういうことが見えてきたら、それを大事にしようと思います。

 それが見えるくらいまでは、執筆を続けられるようにしたいですね。